コビトコラム

2011年

3月

15日

表現としてのカラダ ~足~

カラダという限られた器のなかで、

いかに可能性を開き、表現していくか?

 

身体は有限だけど、魂は無限。

私たちの可能性は、有限の中の、無限。

 

魂が身体を越えてしまうことは、少し危うい。

だから有限の器をすこしずつ、少しずつ大きくしていくのだなぁ。

 

 

そして、足。

 

足は手と骨格がよ~く似ていて、本質的には手と同じ動作ができる能力が

備わっているのだそうです。

赤ちゃんの足を思い出していただくといいですね。

あの、まだ人間じゃない、サル的な動きをする可愛らしい足。笑

 

私は家では年中ハダシでして。

でも冬は寒いからレッグウォーマー履いて、そしてスリッパ。笑

なんだかだんだん慣れてくると、指が自由に動かないと気持ち悪くって。

 

そのお陰だかなんだか、生徒さんには「手みたいですね~」ってゲラゲラ笑われたり。

先日は、「ギリシャ神話にでてくる人が履いてる、皮の草履が似合いそうな足。」などど言われたり。

なんじゃそりゃ。笑

 

 

自分自身のからだの統合のためにRolfingというボディーワークを受けているのですが、

ワークを受けることでいろいろと深い発見があります。

 

セッション中はひたすらプラクティショナーの言われることに集中しているので、

どちらかとういとパーツで意識してしまいやすく、帰って日常で使って(動いてみて)

あらためて、あぁ、そうか・・・と全体とつながる感じです。

 

10回のシリーズで受けることになっているのですが、

“足”にアプローチしたときは、

前回アプローチした“呼吸”が、よりいっそう生きてきたのを感じ、

全身がすべてつながっていることを強く実感しました。

 

 

足は特に右小指の使い方、感じ方が課題だったのですが、

自分では歩くとき、踵(かかと)がしっかり地を捉えていなかったことがはっきりわかりました。

 

見た目にはちゃんと着地しているように見えるし、自分もそのつもりだったのですが、

“もっと伸びて、適切な位置で、深くつながる”のが本来なのだなぁ、と発見したワケです。

 

「本来に戻るということは、可能性につながるということなのだなぁ。」

 

これは、からだを通して実感しています。

 

カラダは魂の表現者。。。

 

 

踵が伸びて地を捉えていない。

前のめり~な生き方・・・気持ちだけが先行していたことにも気づき。

スピード社会はなかなかに大変ですが、スローに踏みしめていきたいものです。

“今ここ”を。

 

それで、ちょっと後ろ歩きをしてみたら(単純☆)、体重の乗る感じが実にわかりやすく、

踵がつながる感じを全身に伝えやすくて、それで前回の記事です(笑)

ときどきピラティスのセッションでもしていただいています、後ろ歩き。

自分が気づいて変われば、伝えていくことももっともっと本質に近づけるんだろうなぁ。

 

 

足はカラダの土台。

足のウラでね、地球を介してみんなと繋がっているんですよ。

地球の裏側とも。

動物や植物なんかも含めて。

すごいですよね~。

 

そして呼吸こそが、“全部”とつながっているのですけどね。

 

 

おそらく今この時代、多くの方の間で「地に足を着ける」とか、「立ち位置(役割)」とか、

「自立」とか、「歩く」とかが、やたらとキーワードになっていることと思います。

 

そして私自身は、からだとしての足&脚を手がかりに、

“確実になっていこうとする何か”を感じています。

 

今回のワークショップ「ハダシで遊ぼう!」が、

そんな手がかりにフッと触れるような、そんな場が起こればいいなぁと

楽しみで楽しみで、眠れない日々です。

 

うそ。Zzzzz~(笑)

 

 

美月

 

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2011年

3月

07日

古代の人の「足」はどんな感じだっただろうか?

かつて、古代人が裸足で行動していた時代には足は鍛えられ、現代人が靴を履いているのと同じように足底が肥厚して足が丈夫であったと言われている。

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2011年

3月

02日

後ろ向きに歩いてみる

人間は目が前についているものだから、前向きに歩く。

 

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2011年

2月

24日

コビトノアシって何するの?

と、思われた方がほとんどだと思います。

このワークショップの対象は
未来を担う子ども達と、その子どもを取り巻く全ての大人

もちろん、今、親でなくてもOKですし、大人も子どもも大歓迎です。

僕は子供の頃から、サッカーに夢中でした。楽しくて楽しくて、小さい頃はボールばかり蹴っていました。幼稚園から小学校の頃は奈良県で名門と言われるクラブチームの所属し、中学校の頃も周りは上手い友達ばかり。そういう環境でずっとサッカーをしてきました。

しかし、高校に入ると今まで怪我なんてしたことなかったのに、大怪我を繰り返し、結局僕は高校3年間のうち約2年あまりを棒に振りました。

その悪夢の始まりが、足首の靱帯損傷だったのです。

そこから、怪我をしている方の足首をかばい今度は反対の足を捻挫。そして気付いた頃には足首の柔軟性が無くなり、股関節の動きが極端に悪くなり、キックフォームも変わってしまいました。

いわゆる負の連鎖。

それほどまでに「足」というのは人間のカラダの中でとても重要なのです。
僕が今回野村さんから、お話をお受けしたのもこういう背景があるわけです。

 


幼少時から、子供達、そして子を持つ親に少しでも足の大切さを知って頂きたいと思っております。

そして子供が持つ無数に広がる可能性を、更に広げることが出来るように何かお役に立てればと思っております。

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2011年

2月

19日

子どものカラダとピラティス

 

 

小枝を拾っては木の上に向かって放り投げる。

そんな娘のカラダは自然とバイオメカニクス的に動いている。

カラダって自然とそうなるもんなんだな、とあらためて。

 


 

STOTT PILATES(ストットピラティス)の基本5原則と子どものカラダが発達していく過程には、

以下のような関係性を見ることができたりもするんですよ。

 

 

この世に生まれ「おぎゃー」と最初に泣いた瞬間から

私たちは呼吸をしはじめる。

やがて、首がすわり、腰がすわり、おすわりができるようになると、

骨盤と背骨のカーブが形成されていく。

ハイハイができるようになる頃には肩甲骨の動きと安定を覚え、

たっちできるようになり、下肢を使い始めるとともに、

胸郭と頭・頚部を骨盤の上に配置し、バランスを取れるようになる。

 

 

「呼吸」「骨盤の配置」「肩甲骨の動きと安定」「胸郭の配置」

そして「頭と頚部の配置」の5つのSTOTT PILATESの基本原則を、

実は私たち、生まれてから立ちあがるまでの過程において、

ちゃんと習得してきているものだったりするんですよね。

 

 

そして、娘を見ながらあらためて思うのは、

私たち人間は子どもの時代に、「動く」ということを、

カラダを動かして遊ぶ中で学んでいくんだ、ってこと。

走る。跳ぶ。登る。くぐる。投げる。拾う。逃げる。追いかける・・・

そんなふうなことのひとつひとつが「動く」カラダをつくっていく。

 

 

ココロが求めることをしているうちに、自然とそうなっていく。

カラダができあがっていく過程って、そんなもんなのかも。

 

 

逆に考えると、歳を重ねる度に退化していくそれらのことを、

もう一度学びなおしていく(再教育していく)過程が

ピラティスのエクササイズだったりするわけなんですよね。

 

 

西村由美


 

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2011年

2月

08日

成長=命を生かすということ

 

 

上に伸びること、前に進むことだけを成長というのではないのです。

 

後ろを認められるようになることも

横に広がることも

そして足元とのつながりを感じられるようになることも

むしろそれがあってこそ、とても豊かな成長といえる。

 

そして、その場に留まることも成長の過程。

 

それは留まっているように見えて

土の中でムクムクとそのときを待っている

とても大切なプロセス。

 

 

 

 

子供の命が輝かしいのは

自らの生命力をめいっぱい使っているから。

 

 

 

発芽した芽を妨げるような重い石を置いたり

 

伸びゆく方向をねじ曲げたり

 

栄養を与え過ぎたりしなければ

 

 

 

その生命力で育つようになっている。

 

 

 

大人も同じ。

 

邪魔さえしなければ成長はするのです。

そうなるようになっているのです。

 

 

 

命はエネルギー。

人の姿はエネルギーの現れ。

 

人のカタチは与えられた素晴らしいギフトです。

受けとって、伸びやかに生かしたい。

 

 

美月

 

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