表現としてのカラダ ~足~

カラダという限られた器のなかで、

いかに可能性を開き、表現していくか?

 

身体は有限だけど、魂は無限。

私たちの可能性は、有限の中の、無限。

 

魂が身体を越えてしまうことは、少し危うい。

だから有限の器をすこしずつ、少しずつ大きくしていくのだなぁ。

 

 

そして、足。

 

足は手と骨格がよ~く似ていて、本質的には手と同じ動作ができる能力が

備わっているのだそうです。

赤ちゃんの足を思い出していただくといいですね。

あの、まだ人間じゃない、サル的な動きをする可愛らしい足。笑

 

私は家では年中ハダシでして。

でも冬は寒いからレッグウォーマー履いて、そしてスリッパ。笑

なんだかだんだん慣れてくると、指が自由に動かないと気持ち悪くって。

 

そのお陰だかなんだか、生徒さんには「手みたいですね~」ってゲラゲラ笑われたり。

先日は、「ギリシャ神話にでてくる人が履いてる、皮の草履が似合いそうな足。」などど言われたり。

なんじゃそりゃ。笑

 

 

自分自身のからだの統合のためにRolfingというボディーワークを受けているのですが、

ワークを受けることでいろいろと深い発見があります。

 

セッション中はひたすらプラクティショナーの言われることに集中しているので、

どちらかとういとパーツで意識してしまいやすく、帰って日常で使って(動いてみて)

あらためて、あぁ、そうか・・・と全体とつながる感じです。

 

10回のシリーズで受けることになっているのですが、

“足”にアプローチしたときは、

前回アプローチした“呼吸”が、よりいっそう生きてきたのを感じ、

全身がすべてつながっていることを強く実感しました。

 

 

足は特に右小指の使い方、感じ方が課題だったのですが、

自分では歩くとき、踵(かかと)がしっかり地を捉えていなかったことがはっきりわかりました。

 

見た目にはちゃんと着地しているように見えるし、自分もそのつもりだったのですが、

“もっと伸びて、適切な位置で、深くつながる”のが本来なのだなぁ、と発見したワケです。

 

「本来に戻るということは、可能性につながるということなのだなぁ。」

 

これは、からだを通して実感しています。

 

カラダは魂の表現者。。。

 

 

踵が伸びて地を捉えていない。

前のめり~な生き方・・・気持ちだけが先行していたことにも気づき。

スピード社会はなかなかに大変ですが、スローに踏みしめていきたいものです。

“今ここ”を。

 

それで、ちょっと後ろ歩きをしてみたら(単純☆)、体重の乗る感じが実にわかりやすく、

踵がつながる感じを全身に伝えやすくて、それで前回の記事です(笑)

ときどきピラティスのセッションでもしていただいています、後ろ歩き。

自分が気づいて変われば、伝えていくことももっともっと本質に近づけるんだろうなぁ。

 

 

足はカラダの土台。

足のウラでね、地球を介してみんなと繋がっているんですよ。

地球の裏側とも。

動物や植物なんかも含めて。

すごいですよね~。

 

そして呼吸こそが、“全部”とつながっているのですけどね。

 

 

おそらく今この時代、多くの方の間で「地に足を着ける」とか、「立ち位置(役割)」とか、

「自立」とか、「歩く」とかが、やたらとキーワードになっていることと思います。

 

そして私自身は、からだとしての足&脚を手がかりに、

“確実になっていこうとする何か”を感じています。

 

今回のワークショップ「ハダシで遊ぼう!」が、

そんな手がかりにフッと触れるような、そんな場が起こればいいなぁと

楽しみで楽しみで、眠れない日々です。

 

うそ。Zzzzz~(笑)

 

 

美月